【帰国】スリの国イタリアで落し物を拾われるという奇跡を経験して来た
お久しぶりです。
イタリアに行ってました。
ジローラモはイタリアでは一般人だと聞いてニヤっとしました。
この旅の途中、
「こんな素晴らしい場所があるならば生きてるのもいいかもな」
、という思いと、
「いつ死んでもいいように人生楽しまなあかんな」
という思いが交差していました。
目の前に、憧れていた光景がある。
自分が今、世界の遺産の上にいる。
媒体を介してでしか見たことのない世界に今実際自分がいる。
写真をほぼ一枚も撮らずに帰ってきた。
そんな余裕なかった。
今ここにいることを自分に証明してあげることが自分にとって最も必要だったから。
生きてるんだ、ここにいるんだと。
破滅したいという思いは変わらないけど、今ここにいるという思いを感じないで破滅することが怖かった。
スマホの画面見てるくらいなら今を感じたかった。
そんなことしてる間に今が過ぎてしまう。
写真なんていつか消えてしまう。人間だっていつか死ぬ。写真なんて見られなくなる。
だから写真は撮らなかった。
みんながピサの斜塔を倒したり蹴ったりしてるのを見ていた。
ミロのヴィーナスの横でピースサインをしてるのを見ていた。
真実の口に並びながら騒ぐのを聞いていた。
君は、今ここにいるって感じたいのかな?
ここにいたことを残したいのかな?
写真に証明を託すより、自分の心に託したい。人それぞれこんなにも考えが違うんだなとボーッと見ながら感じていた。
人間は人それぞれ年齢も経験も考えも違う。だからうまくいかないこともある。そのことでイタリアですごく傷付いて帰ってきた。
でもだからこそ神様は人間を2人作った。
みんないろんなことを抱えながら神殿を作りコロッセオを作り生きて私たちに命を繋いでくれた。
家族友達知り合い、人間がいるところ、みんなみんなそう。
だからこの経験が、全ての出会いが、私の全ての愛する人たちのためになりますように。
私が私の愛する人たちの幸せために役に立ちますように。
愛する人たちが、私より1秒でも長く生きてくれますように。これは私のわがままなのでしょうけど。
イタリアで食への興味を失ってきた調理師学校生より。爆笑
貴重な写真のうちの一枚。
MUSE来伊のバス広告。
え?