仏縁
こんにちは。
祖母のお骨納めに行ってきました。
私は遠巻きから見守るしかありませんでした。
写真の笑顔のおばあちゃんが、目の前で開けられた骨壷の中にいた。
あの日のまま、骨になったまま。当たり前だけど、やっぱり骨になったんだ。
やっとおじいちゃんと一緒になれたね。
おじいちゃんの三十三回忌と奇しくも同じ年に旅立ったおばあちゃん。
なんだかんだ言って結ばれてたんやん。素敵な夫婦だよ。
若くしておじいちゃんを突然亡くしたおばあちゃんが、自分を奮い立たせるために、あんなに人にきつく当たってたことを、そうするしかなかったことを、なんでわかってあげられなかったのだろうか。
私はなにもできなかった。
おばあちゃんが倒れてからやっと優しくすることができた。
病室で。
実家のおばあちゃんの部屋が空っぽになっていた。
ピアノを弾いていたら、隣の部屋のおばあちゃんが話しかけてくれたのに、もう誰も話しかけてこないし、起こさないかなって心配もできない。
私はこのまま生きていく。
おばあちゃんがいない世界で後悔を残しながら生きていくしかないのだ。
だからいつ消滅してもいいくらい、消滅したことにも気付かないくらい一生懸命生きるのだ。
祭壇に乗せられたおばあちゃんのコートや杖や時計。
溢れるくらいのお花。
絶えない弔問客の証。
ぽっかり空いた、初めて経験する一人欠けた家族。
家族なんて嫌いだと思っていた日々は、実はとんでもなく尊いものだったと、人間はやはりこういう時に大切なものに気付くしかないのだ。
愚かだからこそ懸命に生きるしかない生き物。
愚かだから懸命に生きるしかないように作られている生き物。
愚かであるぶん、輝く余地を計り知れないほど与えられた生き物。
私は人間が好きではない。
けどそんな人間として生まれてきたことを自覚して、少しは愛するべき生き物なんだなと自分も他人も認めて生きていこうと思った。
そして愛する人を命がけで愛していこうと決意した。
おばあちゃん、長い旅路お疲れ様。
おじいちゃんとたっくさん喧嘩してたっくさん笑い合ってね。
最後の最後までご縁で結ばれた2人。
最高だよ。