調理師学校へ行く意味とは何かと問われた時に即答できるか
おはようございます。
私が調理師学校に入学した理由は、ちょっと変わっていると思います。
摂食障害と食べ物と向き合うためだったからです。
先日、バイト先の支配人が
「調理師学校に行く意味って何?」と言いました。
私は首を傾げ、横の優しい女の子は
「まっさらな状態で、誰の主観もない調理を一から学びたかった」
と言いました。
そこには完全に、
"なんのために調理師学校に行っているのかわかっていないコミュ障"
と
"意識をしっかり持った若い女の子"
が存在していました。
己の稚拙さを払拭するべく秒速で頷いて同意しましたが、私自身も調理師学校で"基礎"を学ぶ意味は「ある」と思います。
今は料理の世界においても常識が確実に大きく変わってきています。
健康志向が進んで、調理法も食材選びもかなり多様化しています。低温調理とかはまさにそうですよね。
料理が科学的見地から見られることも多くなり、それまで当たり前に言われてたことが間違っていたと分かったり、逆にタブーだったことが正しかったり。
だから私は、学校で学ぶ"基礎"は正しいものではないと思いながら授業を聞いています。
でもだからと言って真剣に聞かないのではありません。むしろ先生にはすごく敬意を払い授業中は全神経を集中しています。
学校の"基礎"はあくまで一説で、もっとやり方があるんじゃ無いか?新しい仮説ではこの調理方法は何かに代えてできるんじゃないか?
と考えるようにしています。
たとえば、塩をする回数は減らさないかな?とか、絶対これってこんなに砂糖入れなきゃいけないの?とか、低温調理でこの麻婆豆腐を作れないか?とか。
頭がすごく開店します。あ、回転します。いつも閉店ガラガラなんでね。
で、卒業後や就職先やバイト先ではそこのお店やシェフの常識が全てなわけです。
そこでも"基礎"を全てだと思ってピヨピヨ巣立ってからよりも、ある程度(言い方が良く無いですが)バイアスをかけて学校の授業を聞き、双方を噛み砕いて学んだ上で現場に出た方が適応しやすいんじゃ無いかと。
そしたらもしいつかアドバイスや意見を求められた時にも、斬新だったり面白いアイディアが提供できるんじゃ無いかなーと思います。
だから、私なりの結論は調理師学校に行く意味は「ある」です。
入学前はないと思ってました。店で修行して、独学で新しい調理法も学んでいけばいいやって。
でもやはり学校というものは偉大だなと思いました。強制的にイスに座り学ぶというのは、自分じゃなかなかできないので。
あくまで私の場合なので、もちろん人それぞれだと思います。
でも、学校に行こうかなって迷ってる人がいたら、私は前向きに考えていいのではって思ってます。
残るのはコミュ障ゆえの苦悩だけ。でもそんなん、いつか消えてどーでもよくなるから。
と言い聞かせてガクブルしながら学校行ってきます。
お読みいただきありがとうございました。