元摂食障害のアラサー主婦が完全未経験者からソムリエ兼お料理の先生へ
はじめまして。
さりゅーと申します。
名前は適当に選んだ好きなイタリア語です。
元気?とかそんな感じらしい。
私の経歴は飲食に携わろうとしている人間としてはかなり特殊だと思います。
まず現在に至るまでを書きます。
もともと食べることは大好きでした。料理も大好きで、家や図書館ではお料理の本ばかりめくっている子供でした。
家系的に大食いで小さい時から超ふっくら。
→中高は男女交際禁止の女子校で育ち、男性恐怖症のまま女友達だけに囲まれ食べたい放題やりたい放題、友達には本当に恵まれある意味幸せの絶頂。受験勉強でさらに成長。80キロくらいあったのでは?
→そんな世間知らずぽっちゃりを経ていきなりイケイケ()の女子大に入学、周囲のキラキラ女子たちを目の当たりにし、自分の醜さに衝撃を受け覚醒。
→ダイエットに火がつき、食事制限やランニングマシン購入(!)やジムへの通い散らかしなどに発狂。細いね綺麗だねと生まれて初めて、それもあれほど嫌いだった男性にチヤホヤされたことからこじらせる。
→摂食障害になっていたが気付かずに10年近く患いながら実家の家庭崩壊、母親の精神崩壊、社会人になったり結婚したり。(滅茶苦茶やなと今は思う。よく生きてきたなと。そして主人とご家族への感謝は一生忘れない。)
→とうとう新婚のくせに自分が崩壊。一年近く入院。
主治医と看護師さん、何より主人とご家族に支えられ、退院しました。(端折り)
この間、主治医に無理矢理(ごめんなさい)食べさせられた病院食を初めて完食した時に、数年間食べなさすぎて忘れていた糖質の味を思い出し、涙したことを今でも覚えています。
それから、次の日が来ることが楽しみになり、生きることが楽しみだと思えたのです。そんなこと、数年ぶりでした。
ずっと死にたいと思っていたから。
そしてそれが私の再スタートでした。
退院しても、圧倒的な食べ物との距離感のなさからスタートしました。
炭水化物は何をいつ食べるにも計量、食べても安心な低カロリー野菜のまとめ買い、時にはカロリー計算済みの忙しいお母さん向けの調理セットみたいなのを注文していました。
でも、いろんな出会いもあり、自分でパンを焼くようになったり酵母を起こしたり、お料理好きは進化していました。
そしてある夏の日ふと思い立ち、
「自分を苦しめまた救ってくれた食べ物と徹底的に向き合おう」
そして
「自分の中にまだ残っている食べることへの全ての違和感と決別をしよう」
と調理師学校への入学を決めたのです。
決めてからは早かったです。
バイトをしてとりあえず入学金と授業料を貯めました。家計からもいただきました。主人は本当に神様だと思います。神々の遊び。メンフィス。
そして学校での色々な人や物との出会いにより、イタリアとソムリエに惹かれ、ソムリエ兼イタリア料理の先生になることを志すようになりました。
夢を追いかけるべく、それまで事務系OL一筋で飲食店でのバイトも皆無だった私が31歳で初めてイタリアンで働き始めました。←今ここ。
とりあえず、ここまでにします。
こんな支離滅裂な長文読んでくださって、本当にありがとうございます。
ここまで読んでくれてる方がいらっしゃったら、私はそれだけでありがたくて夢に近づいてると思います。
感謝♡